ここから神戸方面に戻りますが後1駅途中で寄ります。
鈴蘭台行きのこの編成に乗るのは3回目です。
小野駅を出たのが17:45頃でGWの連休期間位になると日照時間は結構長く
気候も穏やかなので鉄活動もしやすい時期に入ってるのではと毎年思います。
4月もしやすいですが年度ごとにより寒い時期が長かったり
前半は日照時間が短いこともあるので微妙な所があります。
小野を出て途中にある訪問した駅を通過し次の駅が見えてきました。
神戸電鉄の旅最後にやってきたのは三木駅。1年前の電車旅でも訪れました。
曲線上にあるホームや粟生方面にある広告も前の年見たのに懐かしく見えます。
駅員は配置されておらず自動改札、自動券売機が2つづつ配置されてます。
鈴蘭台方面に新しい駅舎ができたのは2001年。
ホームを4両編成対応化により構内踏切が廃止され改札が分離されたからです。
立地的にも目の前に踏切があり新たに造る場所がなかったのも理由かもしれません。
5000系を模したトイレもそのまま変わらずでした。三木という行き先が粋ですね。
踏切渡って反対側の駅入口は駅舎がありませんでした。
忘れもしない3月4日の夜。隣の家で火事があり燃え広がり
開業以来あった由緒ある木造駅舎が焼失したからです。
俺は小田原駅近くで晩御飯とってる最中残念なニュースを知りました。
今旅の計画段階で入れませんでしたが事件後即訪問を決めました。
壁の向こうは更地となり2ヶ月前の事件が起こるまで80年もの間
三木市の代表駅として見届けてた駅が建ってたのです。
仮設状態となった駅の横を家路に向かう車が通ってました。
その1年前訪問した時見た開業時からあった木造駅舎はもう見ることが出来ません。
燃え移って損傷も激しかったので解体せざる終えなかったようですが
1938年三木福有橋駅として開業した時からあった
素晴らしき建物が見れなくなり本当残念で悔しいです。
合理化による無人化になる前駅員が配置されてたことが証明できる扉ももう見れません。
地元の方々もショックや残念という言葉を言う人が多かったです。
駅から近くの橋を流れる川を見ながら自問自答してました。
俺は焼失後の三木駅に行くべきやったんか、行かざるべきやったんか・・・と。
とはいえ見ずに帰るわけにも行きません。
火事で無くなった粟生方面の仮復旧後の様子も記録していきました。
改札入ってすぐの壁はかろうじて健在でしたが長椅子が撤去されてました。
ホームにある上屋の真ん中辺りに自動改札が設けられてますが
1年後こんな姿に変わてしまうなんてあの時想像もしてませんでした。
左にカーブしてるこのホームは事件から5日後に再開しましたが
失ったものの大きさというのを痛感してます。
詳細は未定ですが
神戸電鉄と三木市は今後新しい駅舎を建て再整備していきますが
生まれ変わった三木駅の駅舎を見れるまでの過程を見るため
次乗る機会があれば訪問を考えてます。
時計の針が6時半を迎える頃神戸中心部に帰る電車が来ました。
11月28日で
神戸電鉄開業90周年を迎えるのに本当に残念極まりないです。
新開地に着く頃には夜になるので先頭部のカーテンは閉められてました。
50分後の夜7時過ぎ新開地駅に戻ってきました。
2018GW
神戸電鉄の旅は
粟生線だけで12駅訪問しまして
残るは西鈴蘭台、栄、緑が丘、葉多、粟生の5駅です。
2017年に行ったときはまた違った達成感まではいかないものの
これだけ行ったという充実感を胸にしまい
再訪の日を楽しみにしながら2日目は終了しました。
カメラ:Nikon D7200+AF-S DX NIKKOR 18-200mm f/3.5-5.6G ED VR II
+AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR(12、13枚目)
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